三重県津市にある「みえぎょれん」のサイトです。「みえぎょれん」や三重の海の紹介、お魚を使った料理レシピも掲載してます。

四日市市漁協 石田旭さん

聞き手/編者:元三重大学水産学部教授 内藤一郎氏

三重県 浜の声:ばっち網漁業

自分は昭和25年7月から13歳で、中学2年生中退でばっち網に乗船した。当時は中学中退で就職がクラスの半数以上いた。昭和30年頃までは市場へ揚げず、沖売りだった。市場扱いになったのは昭和33年頃、漁港が河口からこちらへ移った時だったと思う。それ以後は、船は接岸ではなく、ロクロで砂浜へ巻揚げていた。

ばっちは県下に105統あって、うち27統がここ磯津にあった。ばっちの始めは昭和12年に親父たちが、コウナゴ獲りのために効率が巾着よりも良いと、徳島から導入したらしい。それをイワシにも応用した。

沖曳網というのもあった。曳くのではなく、一艘で巾着とは違い、沈子を抜かんと掛け回す式の網や。コウナゴは一度、網に入ると落ちて行かん性質があり、それには向いている。いまでも答志の前へ行くと、1月末から2月にかけて抄い網が行われている。あの頃は資源も豊富やったと違いますか。
ばっち網も昭和25年頃には、乗組員は30人以上いた。1統は網船2隻、手船2隻で、多いところは36人もいた。運搬船は沖売りで、まだなかった。当時の乗組員はいまみたいに老齢者は少なく、55~56歳になると引退して子守りをしよった。

操業区域が設けられたのは、新水協法が定められた昭和23年当時で、地曳網は15mより浅い陸地に寄ったところで操業する。それより深いところは巾着網(ばっち網)の区域だと。水深15mを境にして線を引くと、距岸2,500mが、ほぼ水深15mに相当するので、伊勢湾の地形から操業区域がそのように決められたのだ。

これは余談だが、5年ほど前に村松(伊勢市)沖5㎞に市が魚礁を設置した。漁業者のためにと行政は言うのだが、ばっち網にしてみれば、そんな障害物を入れて貰っては網が曳けないので非常に困ると。入れた場所の水深は17mある。古い文献によると、ばっち網は15mまでで、それより深いところは曳かないとあるので、そうしたという。しかし、ばっち網は時に20~30mの海底まで曳くのでと言ったら、そんなことは知らなかったと。行政側は、これからはしないと謝ったが、そういうこともある。

6月1日から10月30日までは距岸1,000m(500mのところもある)、その後は11月30日までは距岸2,500m内は操業を禁止すると、違反した場合は罰金を課すと規定で決めて操業している。旋網なんかは禁止区域は殆どない。何処へでも伊勢湾内なら旋けるのサ。船曳だけ規制を課せられては不利なんやけど、決めたものは守らなあかんしな。旋網は廃れてしもうたで問題はなくなったが…。

いまのばっちは、昭和25年当時に比べると3倍以上の稼働率で操業している。労力的にローラーを使うのは同じだが、網繰り作業は人力だったものが今は機械力だから、効率は格段の違いとなる。曳網力も当時の3倍の力で曳いている。船の馬力にしても然りで、要するに漁具全てに材質からも強度からも数等の改善が加えられている。

編者:今、ばっち網漁業で問題になっていることは?

今問題になっている中部空港は楠の海岸が一番、距離が近いのだ。空港側は南北20kmの範囲は漁場価値が低下すると言っている。 しかし、ここが一番効率の良い漁場なんや。今迄浅くなっていたところが急に深くなってくるから…。イワシは深い方から浅い方に網を曳くと、網に入ってくるのだ。

ここから(図略)が好漁場になるのですよ。資源がいてこそ漁業は成立っていくので。木曽三川の下流域というのは河口堰で堰止められて困っているんですよ。潮が止まってしまって海水の交換が少なくなっている。

回遊性の魚は湾口から回遊してきて三川を遡上するのだ、それが、堰ができてから下流域にまで回遊しなくなったという。来ても1日居ただけで南下していくという。なんでか県へ頼んだら堰に関しては県も弱いわナ。吾々は何処へ言うて行けばいいんや。この間も、河口堰の影響はないと報道されたが、これでは吾々の心配は解消されんわ。

堰の開閉の状況や資源の変化をあいまいにしないで、もっと一般に理解が得られるようにして貰いたいと思う。

過去に吾々は名古屋や四日市海上保安部に操業区域違反で何回か挙げられたトラブルが、ここ何年か全くないので、それは或る意味では結構なことだが、反面、それだけ海の環境が悪くなってきた証拠でもある、とみてよいと思う。伊勢湾シーバースから北には、もうおらんでな。

氷を積んで行っても、10海里そこそこでなければ鮮度が保てないので、値崩れがして採算が合わん。空港島は20kmの範囲にギリギリに入る。ばっち網漁業というのは、資源の環境を絶えず監視している見張り役をしているのだと言えると思う。そやでもっと現場の吾々の声を取上げよ、というんやが聞いて貰えないのさ。

自分ははっきり言えば行政側としてが、はよう湾内の漁業がなくなればよい、というような気持でおるとしか考えられない。現にそのような発言をしている公務員が居るんやもん。

そして漁業調整委員は漁業調整の仕事をするだけと違って、新しい漁業をつくり出して行く、将来展望を示すのが大きな任務と違うのかと思うのや。

今は生活排水が一番、ネックになっている。それが証拠に、海岸から磯の匂い、香りが消えてしもうた。もう鳥羽以南に行かんと、海の匂いを嗅ぐことができんようになってしもうた。磯の香りのしないところに、自然の生態系が存在する訳がない、と思うよ。

編者:それは本当に名言だと思いますね。

それは漁業者も、声を大にして言う努力が足らんかったかもしれんが、もっと行政が積極的に運動してくれないといかんわさ。わしはそういうことを知らんのかと思っとったが、皆、知っとんのさ。知ってやらんのは一番いかんわ。ばっちの歴史は、環境と生態系の破壊と共に、統数も生産量も減ってきた。

環境が悪くなっても魚が生活できる場がなくなってしまうのだ。木曽三川の沖でも同じことが言える。仮に魚が同じようにいるとしても、漁場が遠くなると効率は悪くなるし燃費も嵩む。

ここでは27統あったものが15統にまで減ってしまった。後継者を心配するが、カネが儲かれば、後継ぎはあるのや、続くものなんや、とわしはよく言うたんや。年間500万や700万手取りがあれば、放っといても後継者はできるのや。

後継者対策は、即ち、所得増大対策なんや。ところが仮に生産量は増えても今のような魚価安の状態では生産者の不安は消えません…というところかな。

同じ一次生産者でも、農業は米価で守られているからまだしも、魚でも貝でも日本になかったら外国から買えばいい、という気持ちやで、不漁でも高値の時代は期待できない、安値に泣く漁業者に至っては何の保証もないもん。

そこで数年前に、許可証の制限条件にばっち網組合の指示に従わなければならない、という条文が付とていた。ところが、これは独禁法に違反しているということで削除されたが、これがなくなったために業界の秩序が混乱した場合、県は責任を執ってくれるかと迫ったが、それは関知しないということもあった。

今でも朝の網入れは6時半とか、網合せ(操業打切)は12時とか、獲る量を加工業者のニーズに合うように生産調整しているけれども、これも或意味では独禁法違反やさ。どこの世界でも価格を維持するためにやっていることなんで、これがいかん言うたら混乱の素や。県は消費者のためやと言うが、生産者を痛めつけて本当にそうなるか。

編者:流通問題としては。

今は仲買人が大きな冷蔵庫を持って、ハマチ餌でもそうやが、何万tと買う時は、なるたけ安い方がええわ。売る段になると高く売れる、流通の真中に居る人が大きくなって、そこで価格が調整されていると、これが漁業者にとって泣かされる元凶や。流通業者に泣かされている漁業者が、それに対抗するだけの案はないと思う。

例えば、外国から入ってくるものを規制すると、消費者が高いものを買わされる。結構、高いものでも利用している、流通業者に言わせると、安くすると物が悪いという印象を与えるから高くしているとも言う。それやこれや、われわれの生産をも賄うだけの魚価を支えるものは、一体何なんか。

編者:後継ぎ問題は心配ありませんか。

この間の新聞にも、タイ網の体験学習とか大敷の実習見学会に何倍かの応募があったとの記事が掲っていたが、今の漁業は機械化されているから、70歳くらいまでは漁業に従事できるから、そうすると、仮に60で定年になっても、10年は出来るやないかと…その方が遊んでいるより健康になっていいやないかと。これからはUターン組の人がもっと増えてくると思うがどうか。

さっきも言うたが、一人500万も収入あったら、自然に後継者は来るんやで心配せん。700万、800万ありゃなお結構なことやけど…。

答志へいってみなはれ、ばっち網の後継者はいくらでも居ますと、言うてますよ。神島でもそうや。ばっち網は操業が規則的だから、仕事がやりやすいことに魅力があるみたいや。人が力を出して仕事をする時代は終わっているでねぇ、何でも機械化の時代やもん。その波に乗って行かんことには付いて行けんでナ。
ところで、今から10年前のイワシの水揚げが、1統7,000万円はザラやったでね。その頃、ここでは安かったで、加工者が仙台まで売りに行って、全国に売っとったがねぇ。

スズキがそうや、公害問題で磯津名を使うと値が付かんかった。42~43年頃のことや。それ以前になると、三重火力の排水によって色々な塩素を冷却水中に混入して付着生物の駆除に使いよった。その時分は40度近い高温排水やったでネ。それで獲れたカタクチのシラスやスズキが臭いというて、「塩浜の歴史」の中にも出てくるワ。これに磯津の漁民が怒って鈴鹿川の排水口に土嚢を積んで実力行使をし、中電と睨み合いになり、最後には塩浜の自治会長も何とかならんかと頼みに来て、あとで知事も公民館に来て、話合いで収めた経緯がある。

それからもどんどん漁業をとりまく環境が変わってしまっているので、たとえば空港問題でも陰に隠れて内緒話せんと公開せよと。マスコミ対策もせんならんと言うが、マスコミに本当にオープンにして、協力を得ながら空港問題を進めるのが本筋やはないかと言っている。今のような状態で、コソコソ人を騙してやろうとするやり方では収まらんに決まっとる。漁業の世界でも、もっと若い人にも受け入れられるように持ってゆかなければ話がつかんと思う。私に言わせれば行政の思う壷やわ。

編者:漁業者は魚を獲ることだけではなく、何か価値を良くするような方法を考える必要があると思うのですが…

それはわしらも、そのくらいのことは考えている。いまネックになっているのは、地域的に見て組合が、各県ともそのような施設を持っとらんとこは少ないと思う。みると各地とも都市に近い所がその機能を果たしているようだ。12月の暮れに漁連から来て貰って応援を求めたこともある。周年魚があればよいが、ない日が多いとどうしても不利になるな。

富州原の市場で四日市市漁協として管理組合の了解も得て、やったらどうかという話は出ているが、それから先へ進まんのさ。やろうと思うと人も施設もいるから、よほど計画的に進めないと、赤字続きになっては困るよって…。

漁業士会でも南勢の方は熱心やが、北勢は集まりが悪いのサ。PRする必要はある。たしかに消費者に直に届くような活きた販路を拓かないかんことは、よう判っとんやけど…。

今年など煮干に回るものは少なかったネ、稚魚の発生が少なかったためかなぁ、愛知が稚魚のうちに獲ってしまうから、資源保護上もお手挙げよ。いまは網目も200(50cmの中に糸が200目通っている)だ、小さいのも獲れるようになっている、これならどんな稚魚も皆、止まるわな。

愛知はシラス(コウナゴ)を全自動で処理している。三重ではやっていても1~2人しかいない。半自動は白塚にある。

編者:最後にこれだけは言っておきたいことをお聞かせください。

河口堰の下を開けてほしい。水をうまく調整してほしい。1潮の間に1度や2度はフルに開放してほしい。1mぐらい下げてほしい。コウナゴや回遊魚の来遊がない、これは堰の影響が大きいと見る。

編者寸言

ばっち網は伊勢湾の中では大規模な漁業で、それだけに問題が多く、複雑であることはお話からもよくわかります。対象魚のコウナゴは資源管理型漁業の代表のような魚種で研究―行政―漁業の連結が緊密なものと思いますが、伊勢湾が三重県と愛知県との2県にまたがっているところに最大の課題があるのではないでしょうか。中部国際空港の建設はそれを一段と縺れさせるか、繙く緒になるのか、一つの試金石です。

いろいろな問題がありましょうが、伊勢湾というのは一つの海域です。漁業振興のためにもっと積極的に2県の漁業、行政、研究の方々を始めとして話合い、さらには今後ますます増えてくるであろう伊勢湾の開発問題についても知事レベルで本格的に話し合い、第三者をも含めた恒常的な検討組織を作ってほしいと念願します。